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saigoofy

「ドンベエはうまい(仮称)」

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そういえばまあセックスはしてもいいかもな、という感情を持つ女を放課後、映画を餌に呼び出したらばのこのこと出てきやがりたるその女、茶髪を巻き薄黒い肌を持ち太股を露出さしたる俺の親友マイギャル145センチのおれの小さな大切な友達。

しかし実際に顔を会わすとそう話すことなど、無いのである。あ、太股さわりたいなとかコイツ胸元の開いた服を着てきてやがるとか唇はものほしそうだぜとか思いはするものの俺、まったく口説き方がわからない。否、口説き方がわからないのではなく俺は本当に口説きたいのかわからないのであって今日今はまあセックスしてもいいんだけどそのせいで今後なんかいろんなことをしょいこまなくてはいけないのは勘弁だぜといった気持ちと、いままでしょうもない話ばっかしてきたのに、セックスするためだけにこいつに好きとか言うのはこりゃあまりにも滑稽で自分で笑ってしまうな、とかそんなことを思いながら無為な話をしてるうちになんだか今日は口説いても無理ぽいぞとか微妙に壁があるぜこの女尻軽の癖にとか思いながらラインを引くのをだらだら尻込み先延ばししてるとすでに終電近く、家に泊めてくれよの一言も出ずに気ぃつけてかえりや、で、はいさよなら。ああ久しぶりに熱いお湯につかりてえなあなんて思ってるうちに酒は回るもんで気が付けば近鉄優先座席の上動けず、たとい目の前に妊婦の婆が現れようが席は譲らんよ、なぜなら俺は絶望しているからよとグルグル考えながら帰途つき後一時間半でわが駅東郷寺。

駅から歩いての帰りすがら彼女に電話の二十分、やはり心持ちは優れず晴れず、ああとかううとか生返事のうちに彼女の積もり積もった携帯電話セールス業にまつわる愚痴聞くばかりでもううんざりのさよなら後、歩いて三階の我が家に到着し、湯を沸かす。台所に夜間のやかんがひゅううと鳴いて俺を呼ぶ。俺の出番、俺の数分前の欲望を示す。俺は玄米茶を茶瓶にためて台所に転がっていた茶碗に注ぐ。

冬は今、関東では記録的な暖冬と本日の局地的なぽかぽか陽気のせいで勘違いしたカエルどもが冬眠を終了し外の世界に飛び出てきたというニュースを流し見、うつらうつらす。ここは南大阪の箕輪の町。頭もとでSO502Blackが光る。誰かの都合が俺を呼ぶ。しかし俺は眠る。眠るよ。

何時だろうと朝は眠い、とは札幌の詩人の言葉である。しかし、俺もおんなじこと思ってたのだ。おんなじことを思っていたのだが、ただ思ってることなんてだいたいみんなおんなじようなことでそのみんな思っているであろうおんなじものをどう他人に切り出すか、どのように届けるかというあたりで表現者足りえるのかそうじゃないのかよくわからんがとりあえず俺は何も成さず生み出さず誰も感心させずにカップラーメンを啜る午後十二時ザ・タイム・オブ・タモリ。笑ってる場合なのかどうなのか笑うのに許可が要るのかどうなのか。いずれきっとタモリの死とともに日本の昼間が激変するだろうという予言を俺はここに記しておく。いや、ほかにも誰か言ってそうだけど。そんなこといいだしたらきりが無いのであるがしかしそんなことを考えてしまうのはこれはひとえにインターネットのせいである。俺より先に俺がやろうとしていることをやってるやつがたくさんいるということが俺を萎えさせるのだ。インターネットのアホ。

それにしても俺は金が無い。というのも俺はこのかたまともな職にも付かずにぼんやりと毎日絵を書いたりしていただけで、そこで出来た何かを積極的に売り込もうとかそれで生計を立てようとか考えたこともないのである。なぜそうなのかというと俺は単純に絵を書きたいのだ。えがくのではなくてただかくのだ。俺の絵の目的はほとんど手の運動やストレッチに近くて、要するに手を動かしている跡が勝手に絵になっているというそれだけのことだ。俺の腕の軌跡に色が付いているだけのことだ。無心とか一心不乱とか集中力とかそういったものは皆無。おれはただ筆を持つ。ペンを持つ。ガッシュを持つ。色を持つ。そして手を動かす。何か跡が付いている。それだけである。

今日もまたタモリタイムが終わり次第俺は絵を書き始める。絵を書く。絵を書く。がりがりがりがり。六時間ほど手を動かしていたのだがどうやら右手が痙攣してきたようである。そこで左手にチェンジ。左手で俺はまたもがりがりがりがりと書き続ける。ホッキョクグマは全員左利きらしい。インド人はほぼみんな血液型がB型だという面白い話を聞いたことがある。おれはB型両手きき。がりがりがりがり。

夕方、そろそろ俺は腹が減るのでドンベエでも食べようかと思って台所で湯を沸かし、ドンベエを探すが見当たらない。あれおかしいな俺確かに先週月曜日に七個まとめて買っといたはずなのにな。一日一つずつで今日も月曜日。最後の一個があるんじゃないのか?と思ったが無い。ない。あれえ?ひからびた俺の記憶をつっつきまわっても手がかりは無い。要するに食べ物が無いという状態にいることが認識された訳だがさてどうしたものか。

といっても選択肢がある訳ではない。ものを食わねば生きてはいけぬ、是人間の宿命なりて財布を引っ掴んだ俺、自転車をこぎこぎスーパーに向かう。道すがら、茶髪に漆黒のジャージをまとった見たところ高校生くらいの女の二人乗り自転車と並走するハメになる。荷台の場所に後ろ向きに座った方の女、俺を見て、くすくす笑っている。なぜかいたたまれない気分になった俺は自転車をこぐのを少し強め、一馬身、もとい一車身ぶん、飛び出る。スーパーの駐車場が見える。茶髪黒ジャージ女の二人乗りは神社の方へと右折。何が気まずいのかよくわからんのがさらに気まずい俺は少し楽になる。俺だけか?気まずかったのは。おれは考えながらスーパーを通り過ぎ、スーパーから二件となりの本屋の前に自転車を止め、歩いてスーパーに向かう。

スーパーの中でドンベエ(七個)と瓶詰めのコカコーラと柿の種を買い物籠に入れる。コーラは瓶で飲むのが一番うまい。その次に…だいぶ落ちるけど缶コーラ。ペットボトルでコーラをのむ人間は知能が退化している。そしてコーラと最もよく合うつまみは柿の種である。夕ご飯にはドンベエ。これが俺の生活。あと…なにか、買うものあったかな…と考えながら店内を見回る。とくに、何も、無い。レジで会計を終えて、外に出る。

自転車に乗る前に本屋に入り、Casaと+81(どちらもすかした雑誌)をぱらぱらとめくる。たいした内容じゃない。自転車に乗る。こぎ出す。やはり風が冷たい。帰り道は川沿いをカップルや犬連れの主婦、キャッチボールをしている親子などを眺めながら家に向かうとすぐに家に着く。俺の家は川沿いの墓場裏の安アパート。広くてぼろくて日差しが良いのに安い。俺は帰宅後すぐにやかんに水を入れ、ガスの火にかける。メインにドンベエそして食後の玄米茶のために多めに湯を沸かすので時間がかかる。FUZEのCDプレイヤにAmmon ContactのSounds Like Everythingをセットし、流す。音が流れる。この曲は、ああそうか、カルロスが作ったんだっけ。元気かなあ、カルロス。

湯が沸く。過去の俺の欲望が俺を呼ぶ音がする。ドンベエはすでに半開き、蓋にテープが半着き。お湯を入れ、テープのどこにも接着していなかった部分で蓋とドンベエの胴体を固定し、三分ほど台所その場で立ち尽くす。俺はいま、まさにドンベエになろうとしているドンベエを見つめながら今日もドンベエを食べる自分に感動する。なぜこんなにも毎日俺はドンベエを食べるのか、なぜカップヌードルやマクドナルドではなくてドンベエなのか。ドンベエは照り焼きマックバーガーセット足り得たのだし、おそらくカップヌードルカレー味BIGでもよかったのだ、が。俺は今夜もドンベエを食べるであろう。これは過去の俺の導きであり過去の俺は未来の俺へとドンベエを食べるという運命を紡いだのである。俺はこれに感動していた。ドンベエはうまい。俺はそれを知っている。俺はそれを日常ほぼいかなる場合でもおぼえている。その結果、おれは、こうしてドンベエにありつくことが出来る。否、もしも俺が昼間、ドンベエを全く食べたくない気分でスーパーに行ったとしても、なんとなく俺はドンベエを購入し、その夜、買っといてよかったという気持ちとともにドンベエを食すであろう。過去の記憶というものはおぼえているものだけではなく、皮膚感覚のようにその人間にこびりついているものなのだ。ドンベエはかなりの確率で俺に幸せを運ぶ。俺はおぼえていないくらいの記憶からそれを思い出している。忘れない。逆に一度もそのモノに幸せを感じさせられたことが無かったとしたら人は自動的にそのモノと接するのをやめている。モノだけじゃなくて人もそう。これも確かだ。利害関係を抜きにして退屈な人間と何度も会おうとする人間はいない。これは退屈な日常に根ざした一つの真実である。おれはこういった地道な真実を好む。積み重ねの中で学んだことを尊重する。それは俺がものすごく忘れっぽい人間であるからだ。たとえば、何かすばらしい物事に接してその一瞬で自分が洗われたかのように感じたとしても、俺はそれをすぐに忘れてしまう。ぶっ飛んだすばらしい考えはすぐにおれからもぶっ飛んでいく。

今自分がやっていることが好きであるかどうか。
 それさえあれば自分を磨こうとするし、
 常に前に進もうとする自分がいるはず
 イチロー

ということばを聞いた俺は、そうだ、自分を信じて、大切なことだけやればいいんだ、イチローええこと言うな。やっぱ違うぞ。とかおもうのだけれど次の日にはそんなことも忘れて、こころに何の戒めもなくいつも通り暮らしている。

しかしおれはドンベエのことは忘れていなかった。その証拠がこれだ。今夜だ。綿々とつづく(洒落じゃないぞ)夕ご飯だ。

とか考えているうちにドンベエが出来そうだ。パッケージに包まれている間のドンベエはドンベエではなくお湯を注いで四分くらいでドンベエはドンベエになるのだ。お湯のはいる前のドンベエは『その少女はまだ、女ではなかった』みたいな感じ?感じ?ってなんだ。アホか俺は。リタリンもかじってもいないのにこんなアホなこと考えているような俺はアホかアホじゃないかの境界線上にいるに違いない。というか多分アホ側にハミ出してしまっているのかもしれない、と考えて、すこしショックに思う。がしかし、いや、ちょっとまて。おれがもしアホだとしたらこのアホな俺が俺をアホだと判断したとしてもその判断は間違っていないのか?アホがただしい判断が出来るってのはちょっと考えられないし。まあいいか。とりあえずドンベエをすする。うまい。