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saigoofy

秋葉原で起こった事件とその周辺事項について思うところ

なんとなく、加害者の彼とだいたい同じ世代ということもあってか、常にぼんやりとあの事件について考えている。6/8に起こった秋葉原の歩行者天国での無差別殺人事件だ。

彼がどんな気持ちで、どんな思惑で、どういう計画で、どういった精神状態で、あの事件を引き起こしたのかは計る術はないのだけど、おそらく彼は人を殺す事そのものが好きで、目的で、それをしたいと思いながらずっと我慢してきた人間ではないと思う。彼が人を殺すという行動に至ってしまったのも彼本人の希望ではない。今現在(6/11)彼が「望み通り人を殺して満足だ」と思っているかといえばそうではない、と俺は思う。彼にはそもそもの動機なんて無くて、でもなぜあんな事をしてしまったのか?と言う問いには、たぶん「他に何も思いつかなかった」というのが答えなんじゃないだろうか。

むしゃくしゃして無差別に人を殺すという文脈は、ゲームや小説、漫画や日々の会話のモチーフとしても、もうすでにステロタイプになっているし、そういった文脈もすでにある世代には根付いてしまっている。「それを行動に移すのは別問題だ」と思うかもしれないが、おそらく彼には他に選択肢が無かったか、もしくは思いつかず、誰からも選択肢を提示されず、深い孤独と閉塞感の中にいた。精神状態が極限まできてしまって、そういうイージーな考え方(人殺して俺もおしまい)にいくしか無かったんじゃないか、と俺は思う。根底に怒りはあったかもしれないけど、それよりも他にまだやりたい事ややるべき事があれば人殺しは最後にとっておくだろう。

進路に悩む若い人たちや職業を選びかねてるほとんどの大人も閉塞感に覆われている。選択肢を得るための社会との接点がそもそも仕事しか無いし、いまや仕事も十分に無い。地元の人が集まるバーや寄り合いのようなものも無いか、有っても行きたくはない。インターネットは接点としては心もとない。他人がどうやって生きているのか、どうやって幸せになっていくのかわからない。もしくはつかみにくい。しかし漠然と不安はある。受動的メディアからのメッセージ、例えばテレビの喋る事は金の使い方(CM、広告)とテレビに映る人の内輪向け話。そこに加わる事、もしくは有名になる事が幸せのロールモデルとされている。それ以外の道は示されない。よりよい生き方を具体的に示すような情報は、滅多に見当たらない。

仕事も金も好きな人もやりたい事も将来の見通しも自分への自信も他人への信頼も今日やる事も明日やる事も、無い、というような状態からずっと抜け出せないでいる。もう、自分を殺すか世界を殺すかの変化しか想像できなくなってしまった、そんなギリギリのところにいる人はまだまだいっぱいいるだろう。彼のニュースを見て「彼がアレで満足しているとは思えないが、だからといって他にどんな選択肢が有るって言うんだ?」と考えながら今日も明日も何をしたらいいのか考えてる。

そんな人々に誰かが何か(メディア)を使ってメッセージを送るとしたら、出来る事は選択肢を示す事しか無いだろう。「絶望してる」→宇宙飛行士になってみたら?ハイこれ願書、とか「絶望してる」→タイでは三万くらいでのんびり二ヶ月は遊べるから行ってこい、とか、北極探検隊がメンバー募集してるよ、とか、目の見えない人の外出補助のボランティア募集してるよ、とか。とにかく選択肢を提示する事が大切だと思う。絶対に。正直、俺は別に誰が人を殺しても、しょうがないと思うんだけど(人殺しというのはある種の病気だ。趣味じゃなければ)いままでの報道やテレビの有り様だと、んじゃ「俺も」人を殺すか、という安易な選択肢を提示しているだけに過ぎないと思う。でもマジで、そんな絶望してるような人に積極的に選択肢を与えるような機関って、宗教団体くらいしか無い。

人殺しを防ぐ方法なんて無い。人殺しをせずに済むような生き方をちゃんと示す事が出来るか、ってことを考える方が建設的だろう。まともな社会、まともとされている生き方、まともとされている人間関係に、合わなかったらちゃんとそこからドロップアウトして、なおかつそれでもものすごく幸せそうに生きてる大人が増えてくれば、どうしようか行き詰まってる人達にも選択肢を示せると思う。

大勢の群衆に向かって刃を向けるというあの行動は「俺はお前達とは違う」とでかい声で叫ぶようなもんだったんだろう。悲痛だ。お前達とは違う、と思いながらもその輪に加わらないと、幸せにならないというイメージが蔓延していて、自分はそこには入れない。しかも、刃を向けた相手もほとんど自分と同じ人々なのだ。どうすれば良いか解らず、漠然とした不安とともに生きてる。そして、まだ人を殺していない、だれかを殺す必要のいままで無かった人々。

自分の事に当てはめてみても、自分の人生なんて自分ではどうしようもない事ばかりだったし、いつだってなにしたら良いかわからなくて途方に暮れてた。常に自分よりも周りの環境や大人達や税金やテレビの方が大きかったし、自分が変えられる範囲なんてそれこそ自分の人生にもほとんど効果がないんじゃないかと思えるくらい小さなものだった。常に無駄に時間をつぶしているような焦りがあったし、かといって自分が自分の未来に対して何を選べるかという選択肢も思いつかなかった。そのなかで、良い本と出会ったり、素晴らしい映画を見たり、恋をしたり、尊敬出来る人の人生の過ごし方を学んだり、自分が誰かを幸せにできたと言う実感を得たり、他人と仲良くなったり、知らない事を知ったり、海外に出ていろんな生き方をしている人と知り合ったり、友達が死んだり、犬を拾ったり、まあいろいろ、そういう風な事があって自分はなんとか人を殺す以外の選択肢もみつけてきたし、とりあえず今はやっていけてる。でも、結局これって運でしかない。運良く周りの人間や面白かった本や目に入った映画から「こういう事してみなよ」という選択肢や提案、「人生ってけっこういいでしょ?」という問いかけを得られたから、今でもなんとかやっていけてるだけで、日本中にまだまだ「運悪く」どうしようもないひとはたくさんいると思う。

"自分を殺すか世界を殺すかの変化しか想像できなくなってしまった、そんなギリギリのところにいる人はまだまだいっぱいいるだろう。"