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saigoofy

とある女性の死とブログコミュニケーションについて

先日、とある女の人が亡くなった。俺はその人の事を特に知らなかったし、ニュースで訃報を聞いたあとに、なんとなくウェブ上の情報を集めただけなのだが、なんだか奇妙な感覚が残った。その奇妙さを出来るだけ書き記してみる。

訃報を聞く前に俺は、その人が元TBSアナウンサーで割と最近(おそらく五年以内)にフリーに転向したが、wikipediaの彼女の項目にTBS内部から中傷するような書き込みがあった、とするweb上の記述を見た。wikipediaには今はその記述は無いし、その記述があったとされる根拠もない。ようするに、その不確かな情報を得て、へええ、と思っただけだった。そして中傷の記述があったのかウラを取る方法は無いか、とgoogle検索すると、その人の訃報が目に入った、という流れだった。ニュースをざっと見て、本人の公式ブログをのぞいてみると、ブログ記事としては、割とネガティブな、生きる意欲に満ち満ちたものとは思えない記事が目に入った。その記事のコメント欄は解放されており、多くのファンとされる人々の励ましのコメントが見受けられた。お悔やみのメッセージは一つもなかった。

俺は、ブログオーナーが認証しないとコメントは受け付けられない仕組みになっているのだな、と思いそのサイトから去った。

夕方になって、もう一度そのブログを訪れてみた。すると、ブログ記事に対するコメントは増えていたのだが、それも応援や励ましのメッセージばかりだった。お悔やみの言葉が一つもないとはどういうことだろうか?と思って、なにかヒントを得るためにいろんなサイトを見て回った。そのなかで、特定のブログ(有名人や著名人、有名なブロガーなど)へのブログに自動的にコメントを付けるスクリプトが存在するという話を聞いて、少し奇妙な感覚を抱いた。というのも彼女のブログについていた(今は全てのコメントが見れなくなっている)コメントはBot(機械が自動でつけたもの)によるものだとしても、特に違和感がなかったからである。違和感が無かったと言うか、紋切り型の文章の羅列なのだが文章は文章だけでその力を持つし、それを書いたのが人なのか機械なのか、つかめなかった、という意味だ。

おそらく、毎日彼女のブログを見ていたファンの人は、そのブログのコメントに何か不自然なものを感じていたのかもしれないし、もしかしたらコメントをつけるボットというのは自分が知らなかっただけで、芸能人のブログの世界では広く認知されているのかもしれない。しかし「お悔やみのコメントを書き込んだのだけれど全く反映されない」という人の書き込みを、その自殺した女の人のオフィシャルブログではない「他の」掲示板サイトで発見して、奇妙だな、と思ったのである。奇妙さは、コミュニケーションがそのブログに存在したのかという点と、もし、ブログオーナーがそのスクリプトの存在を知らなかったとしたら、グロテスクだな、と思った点である。

綿々と書き込まれていたコメントがスクリプトによるものなのか時給で人が動いていたのかは知らない。実際にはブログに自動的にコメントをつけるボットなど無く、すべてのコメントは人間がちゃんと(ちゃんと?)書き込んだものだったのかもしれない。その日の書き込みはニュースを知らなかったファンで、以前からもそのブログの中でファンの人とブログオーナーである彼女との交流があったのかもしれない。だけれど、一時かもしれないが、あれほどコミュニケーションの断絶というものが(断絶のように)見えた場所というのは、ちょっと無かったな。と自分は思ったのだった。

コミュニケーションというものは、生きる事、生きようとする意識に密接に関わっている。自殺という決定はディスコミュニケーションの最たる決断かもしれない。と、自分は今のところそう考えている。そこに断絶した(ようにみえる)コミュニケーションが絡む。奇妙だ。